2012年2月7日火曜日

武田の騎馬軍団はありえない?(2)

江戸時代とも比較してみましょう。まず1600年伊達政宗が山形に派遣した援兵の構成は、3000人中騎士420名(14%)というものでした(『関が原の役』旧参謀本部;徳間文庫)。次に、元禄年間作成と思われる上野国前橋藩酒井家の陣立図中、本田民部左衛門家中の構成では、381人中騎馬31人で(「軍事編成と動員兵力」『戦略戦術兵器事典日本戦国編』)、8%と騎馬が少なくなっています。落馬して笑われる武士の登場を予感させる現象ですね。

最後に、西欧の同時代と比較してみましょう。

A、1471年ブルゴーニュ公シャルル豪胆公
 7250人中重騎兵1250人(17%)
B、1494年シャルル8世のイタリア遠征
 18000人中騎兵12000人(67%)
C、1525年フランソワ1世パヴィア遠征
 32000人中6000人(19%)
D、1631年ブライテンフェルトの戦い
 皇帝軍:31400人中騎兵10000人(32%)
 スウェーデン・プロテスタント連合軍:41000人中13000人(32%)
E、1640年フランスの将校モンクの教科書より
「平地で戦う場合には、兵力の割合は歩兵2に対して騎兵1がふさわしい。」
(上記5件『長篠合戦の世界史』J.パーカー1984年;邦訳同文館)

中国、オスマントルコの同時代とも比較した印象ですが、少なくとも日本の戦国時代(と、いうよりも日本史全般でしょうか)は世界的にみて騎兵の重要性がそれほど高くはない印象があります。武田騎馬隊というとどうしても世界のクロサワ『影武者』の印象が強いわけですが、少なくとも数の上ではけして他にぬきんでているわけではない事はつかめるのではないでしょうか?

、、、ノイエスが特にある訳ではなく、備忘録的な記載で恐縮です。10年たった2012年現在では桐野作人氏の論考など発表されており、着眼点もかなり掘り下げたものが要求される状況でしょう。

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