漢初とされる『爾雅』では「冰臺(ヒョウダイ)なり」として、もぐさの点火方法からの説明(氷をレンズとして艾に点火することからという、晋代『博物志』の説が有力です)が関心の中心に据えられています(臺ダイがスゲと訓じられることがあり、植物名を示唆する可能性も否定できないように思います:白川静1980『中国古代の民俗』所収の『詩経』小雅収載の詩より。「南山に臺あり北山に莱(アカザ)あり」)。李時珍は異名「炙草」を記載(難波恒雄1980『和漢薬百科図鑑Ⅱ』)、モグサも「燃え草」からきている、という説があり(中西準治1997『和薬の本』1997年)、火で燃やすことは艾の文化的特徴となっていることが命名からも窺えます。大塚恭男は梅棹忠夫1956『モゴール族探検記』でモゴール族が燃料のヨモギを掘りとる道具を持っていることを示し、灸法の背景として東北アジアで艾を燃やす習俗があったことを示唆しています(大塚1993『東西生薬考』)。
字の由来については北宋の王安石が『字説』で「艾は疾を乂め(おさめ:治めると同義)得るもので、久しく経たものほど善い。故に文字は乂に従うのだ」と述べています。『神農本草経』より若干後に編まれたとされることの多い『名医別録』でも別名を「醫草」としており、命名自体灸療法など医学的観点からなされた植物といえます(『荊楚歳時記』隋代の注で『師曠占』にあるという「病草」も同じ淵源でしょう)。
南北朝代の『荊楚歳時記』には「五月五日、、、艾を採りて以て人を為り、門戸の上に懸け、以て毒気を穣(はら)う。」(宗田一1993『渡来薬の文化誌』の訳より)とあります。このような辟邪・辟病のための採薬が、後代山野遊楽のための若菜摘みへと変化していくことは、つとに先学から指摘されるところです。日本でも5月の節句にヨモギとショウブを軒につるします(平安期清少納言『枕草子』「五月にしく月はなし。菖蒲蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。」)その他、和名中の異名モチクサは、早春に草餅をつくることからきた名称です(蘭山『啓蒙』では加賀の方言とします。草餅の材料はもともとは春の七草のひとつゴギョウでもあるキク科ハハコグサ属ハハコグサGnaphalium鼠麹草であったのを平安期頃からかえてきたという説があります:越谷吾山1775『物類称呼』)。ただし、単なる食用ではなくやはりなにがしかの薬理作用を期待してのものではあったようです(大蔵永常1847『山家薬方集』嫩艾餅よもぎもちの項「毒なし、邪風をさり」)。信州の民俗例では蚊いぶしに使う例もあるようですね(宇都宮貞子『草木おぼえ書き』)。
以下、生薬「艾葉」についての考察は後段にまわすこととします。
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