卜文・金文にも記載のある、由来の極めて古い字です。「高」字は金文で祝祷の器を含むとされ(白川静1994『字統』)、墓域に生える草を意味しました。余冠英も「蒿」は槁コウ(かれる)や薨コウ(しぬ)と音通し、枯死を含意しているとし(竹田晃1980『中国の幽霊』)、もともと病・死との関わりが深い字であることをイメージします。晋代崔豹の『古今注』や同時代の干宝『捜神記』によれば、当時の挽歌の代表的なものの一つに「蒿里」があり、下級役人や庶民の野辺送りの際に歌われていました。蒿里は特定の地名という説(北宋代郭茂倩『楽府詩集』)もありますが、『漢書』武五子伝中の「蒿里」に唐代の顔師古は「蒿里トハ死人ノ里」と注解を施しています(伊藤清司1998『死者の棲む楽園』)。明代の張自烈『正字通』では「蒿里トハ冢ノ間ニ宿草ノ積聚スルヲ言イ、墓門ヲ指スヲ言ウ。」とあり、そこから他史料や雲南の少数民族の聞き取り調査も交え伊藤氏は、「そもそも蒿里という呼び名は、死体を人里遠く離れた荒野に棄てていた大昔の葬俗の面影を伝えているのではないか」と議論を進めました。
『説文』では他の字の説明で「艾蒿なり」との記載があり、「艾」「蒿」の両者は近縁種であるとともに、明らかに異なるものと捉えられていたようです。ちなみに現代中国語でヨモギ属は「蒿」属です(HP「中国植物物种信息数据库」中国科学院昆明植物研究所)。
最後に、和名ヨモギの語源として、一般にいわれるところでは「四方木」「良く燃える木」「良く萌える木」などが挙げられるわけですが、上記「蒿」のイメージから導かれる可能性として、「黄泉木」はいかがでしょうか。すなわち、「よみ」と訓ぜられる「黄泉」は「よもつひらさか」「よもつへぐい」など、格助詞「つ」の前では「よも」と音変化します。「よもつぎ」から「つ」を脱落させることの妥当性まで立ち入ることができず、発案以上のものではありませんが、ご意見いただければ幸いに存じます。
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