2011年10月17日月曜日

漢方生薬考 ヨモギ属(6)

A、茵蔯蒿(茵陳蒿)
『神農本草経』上品に「因陳」として収載。名称の由来について陳蔵器『本草拾遺』は多年草であることを挙げています。北宋代の『図経本草』中で蘇頌は汴京の山茵蔯、江南の山茵蔯、江寧府の茵蔯、階州の白蒿など、同じ茵蔯蒿と呼ばれるものであっても当時から種々のものが含まれる状況であったことを既に考察しています。現代中国で茵蔯蒿の正品はカワラヨモギArtemisia capillarisの幼苗(日本では頭花を使用:茵蔯蒿の幼苗を日本では綿茵蔯と称し、分けています。注3)ですが、前掲難波氏の著作(難波1980)によれば他に、A. scoparia(ハマヨモギ 濱蒿)、A. frigida(白蒿)、A. sacrorum(萬年蒿)、A. japonica(オトコヨモギ 牡蒿)が市場で出回り、またマメ科オヤマノエンドウ属Oxytropis(内蒙古で使用)、ゴマノハグサ科ヒキヨモギ(陰行草)、シソ科ハナハッカ(牛至 別名土茵蔯・北茵蔯)も用いられるとのことです。また韓国ではA. iwayomogiイワヨモギの茎葉を茵蔯蒿と称するようです。

日本では平安初期に深根輔仁『本草和名』(大正15年影印)や源順『和名類聚抄』でヒキヨモギ(ゴマノハグサ科陰行草と同種であるか、現状では議論困難です)と訓じられています。平安前期の『延喜式』巻第37典薬寮諸国進年料雑薬では「茵陳稾」の産地として4ヶ国(相模・尾張・近江・讃岐)を挙げていますが、後代と連続しない種同定で何を当時意味していたかは不明です。

貝原益軒1708『大和本草』中ではカハラヨモギと訓じられますが、寺島良安1713『和漢三才図絵』では「インチン」のみで和名の記載が無く、「俗云河原蓬」はかえって「黄花蒿」で記載されます。その後小野蘭山1802『本草綱目啓蒙』や多紀元堅1837『訂補薬性提要』、大蔵永常1847『山家薬方集』までには、カハラヨモギで訓が安定し現在に至ります(注4:蘭山『啓蒙』では異称ネズミヨモギ。遠江でコギ、安芸でフナバハキと方言での異名あり。イヌヨモギを大和での方言、ハマヨモギを加賀での方言としていますが、それぞれA. keiskeanaA. scopariaとして、現在は別種として扱われています。ただし難波1980によれば「日本産のハマヨモギはカワラヨモギと判別不可能である」とのこと。ネット検索でもオトコヨモギ、ハマヨモギ、リュウキュウカワラヨモギは近縁種であり花蕾の形態が非常に近似していて、誤って用いられるとの記載を認めました: http://www.geocities.jp/kokido/in.html)。

3
浅田宗伯1863『古方薬議』では「古本草、茵陳蒿は莖葉を用ふ。而して後世子を用ふ。」と、日中の使用部分の違いを年代差として捉えています(宗伯が子として捉えた部分がカワラヨモギの頭花です)。なお、荒木正胤や荒木性次は、綿茵蔯を使うのが好ましい、と主張されていたようです(村田恭介1981「綿茵蔯」『和漢薬誌』339)。

注4
茵蔯蒿の日本における同定ですが、1603年の『日葡辞書』では、Cauarayomogui(カワラヨモギ:「ある薬草」と訳されます)が九州の方言のFamabutcu(浜ぶつ:「ふつ」がYomoguiの九州方言との記載あり)に対応する畿内の用語であることが指摘されていますが、Inchin(ある草から作られる薬の一種)との対応関係は指摘されていません(『邦訳日葡辞書』1989年)。この頃までは茵蔯蒿のカワラヨモギとの対応関係が国内で一般には認知されていなかったものと思われ、年代の下った近世初期でも、薬種同定を主目的とした対馬藩から御三家紀州藩への朝鮮薬種献上事業(寛永5年1628年・寛永201643年)の際には、「茵蔯」「茵蔯蒿」の記載を認めますが、その後同定が進むと、日本・中国と異種を用いる朝鮮の茵蔯蒿は不要になったものと思われ、以後薬種貿易で扱われることが無くなってきます(田代和生1999『江戸時代朝鮮薬剤調査の研究』収載文献を参照)。
上述の通り貝原益軒ではカワラヨモギを意識した記載に既になっていますが、国内においてカワラヨモギが茵蔯蒿として周知してきたのは17-18世紀の長い経過を経てのことであったと思われます。

0 件のコメント:

コメントを投稿