2011年11月3日木曜日

「はしか」の民俗

 予防接種の普及が進んでいない我が国において、近年も折々流行し、しばしば新聞をにぎわせるのが「はしか」麻疹measlesです。

医学史のパイオニア、富士川游氏の『日本医学史綱要』(明治37年発行、1974年平凡社東洋文庫覆刻)によれば長徳4(998)年の赤斑瘡を初出とします(他「あかもかさ」『栄花物語』「赤疱瘡」『日本紀略』など)。「はしか」称呼は鎌倉時代『万安方』が初出。中国での「麻疹」初出は明代『古今医鑑』とのことで、両者が結び付けられたところに現代があります。ただし少なくとも久保田は「あかもかさ」と「はしか」をつなげて考証した史料を寡聞にして知りません。「もがさMogasa」は平安期倭名類聚抄から近世初頭日葡辞書まで一貫して掲載、また日葡辞書には「Tosoとうそう」「Togasaとうがさ」「Tosinとうしん」「Fosoほうそう」も掲載されているのに対し、日葡辞書には「はしかFaxica」があるもののあかもがさ・麻疹に準じた発音が確認できません。後世「疱瘡は器量定め、はしかは命定め」
と並び称されるはしかですが、実際の致命率は天然痘の方が高かったことが考えられ(氏家幹人2009『江戸の病』)、臨床的重要性が相対的に低いはしかは疾病の概念としての安定性も弱いように思われます。

ともあれ近世は「麻疹」「はしか」の時代であるわけですが、近代以前、史料上で痘瘡(もかさ:天然痘)との区別は厳密には困難であり、また庶民にとっても両者の民間治療は混然としたものになっています。痘瘡に対し患者の身の周りをすべて赤いものでおおうことで病魔を祓うという信仰は近世においては一般人から将軍家まで普遍的に行われていたことでした(注1)。その影響か、はしかにおいても赤いものを使用する民俗習慣が各地にあります(「疱瘡の治療と同様に、赤の衣類を着せ、赤の書物を読ませ、赤で神送りするような習俗もあった」:都丸十九一1971「はしか」『日本民俗事典』)。
その関係で興味深いのが、伊勢海老の殻の内服です。
「麻疹を鬼の襲来のように怖れる親たちが、炎で子のまわりを囲うみたいに赤い色を近寄せたのは前の章で述べたが、その赤色のお祓いをいま一つ体内にまで押し進めようとしたのだ。」
(斎藤たま2010『まよけの民俗誌』)
斎藤氏の著作によれば東は千葉の房総半島、西は佐賀・対馬まで類例があるようです。転じてひょうそうや破傷風にも使う例があるようで、ネットで検索すると多数類例が出てきます。

この淵源がどこにあるかですが、面白い記載をみつけました(注2)。
「(前略)民間薬のなかに入れるべきものとしては、たとえばエビ(Panulirus japonicus von Sievold)があり、はしかに効くとされている。はしかにエビが効くという発想は、吉田集而(一九七〇)の研究で明らかにされたように、朝鮮から広まってきたもので、朝鮮ではエビ(Cambaroides sinilis Koebel)
が昔からはしかに対して用いられていた。すなわち、エビをはしかの治療に使うのは朝鮮から伝来した民間療法なのである。」
大貫恵美子1985『日本人の疾病観』

大貫氏の挙げる吉田氏の著述は「イセエビとはしか」『季刊人類学』第1巻4号のようです。

なお、吉田論考中に挙げられる朝鮮のエビCambaroides sinilis Koebelは和名チョウセンザリガニのようです。同じCambaroidesでは中国の民俗例で胃石を薬用に使用しているものがあり(HP『虫類の薬用』)、日本の在来種ニホンザリガニCambaroides japonicus de Haanでも胃石を眼病や肺病など民間療法薬に使用するとの記載を認めます(Wikipedia「ザリガニ」)。また同じ中国の少数民族布依族は河蝦Macrobrachium nipponense de Haan(テナガエビ属)をなんとハシカに使う、とのこと(HP『虫類の薬用』:『布依族医薬』に収載)。

久保田のこれまでの記述だと赤色が痘瘡を祓う効果の延長上に海老が位置付けられるわけですが、周囲からの影響だとすれば、赤色・疱瘡に対する民俗全般がどうなのか、興味深いところです。前掲した都丸氏の論考では色調以外に表面のぶつぶつした触感も類感呪術の根拠として挙げています。また、ネット検索をしていてふと思いついたのですが、甲殻類を食べたときに蕁麻疹が出ることは一定度あり、その着想からやはり類感呪術として発疹疾患に用いられたということも考えられないでしょうか。

注1
後の13代将軍徳川家定は17歳の時痘瘡に罹患。
「御座の御装ひはさらにもいはず、御前近う仕うまつれる人々、なべて紅の衣を、肩衣の小袴の上にまどひ着て侍らひぬとぞ」(深沢秋男校注1978-1981『井関隆子日記』)
「小児いしゃ赤い紙そくでおくられる」(『柳多留』より:小野眞孝1997『江戸の町医者』)
なお服部敏良1975『王朝貴族の病状診断』(2006年再版)では平安時代における痘瘡・疱瘡の記載が多数ありますが、赤色を強く意識した習俗の記載は無いようです。富士川游1912『日本疾病史』(1969年復刻)では疱瘡神信仰は近世以前と以降で変化しているようで(成松佐恵子2000『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』)、起源は案外新しいのかもしれません。

注2
大蔵永常1847『山家薬方集』は民間人に対し漢方から援用した民間療法をかなり丁寧に記載した史料です(長沢元夫・小西正泰解題1982)。「疹」ふりがなで「はじか」に対しても漢方をベースに症状軽減を図った記載になっていますが、その中にエビ・ザリガニは登場しません。分布域がかなり広範なエビの使用ですが、一般に認められた治療であったか、となると微妙に思われます。

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